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2017年7月8日号「神様の臨在場所〜天はどこにあるのか?高天原は?」
私が5歳くらいのころによく見ていた夢です。
摩天崖の頂上に神様服を着た方々が立たれ、私が降って行くのを見送ってくれています。
私は下の世界に降りて行っているのですが、途中から、シャボン玉のようなフワリとした球形の物体がたくさん転がってきます。
一個一個は軽いので最初は支えていたのですが、降りてくる数が大量になっていったので、さすがに私も支えきることが出来なくなって、フワリとしたシャボン玉と一緒に下界に転がり落ちてしまいます。
その大量のシャボン玉の下敷きになって身動きできない状態で目覚めるのです。
そういう夢の時は大抵オネショして母親に怒られた。
摩天崖の頂上に神様服を着た方々が立たれ、私が降って行くのを見送ってくれています。
私は下の世界に降りて行っているのですが、途中から、シャボン玉のようなフワリとした球形の物体がたくさん転がってきます。
一個一個は軽いので最初は支えていたのですが、降りてくる数が大量になっていったので、さすがに私も支えきることが出来なくなって、フワリとしたシャボン玉と一緒に下界に転がり落ちてしまいます。
その大量のシャボン玉の下敷きになって身動きできない状態で目覚めるのです。
そういう夢の時は大抵オネショして母親に怒られた。
場所は、おそらく島根県の隠岐の島の摩天崖だったのだろうと思います。
今、ヘブライ語聖書の先生に質問するために『聖書』の論点を整理していて、私が5歳くらいに見た夢と、神様がいらっしゃる場所に関係あるのではないか、と感じてくるのです。
日本でいえば神様がいらっしゃる場所は、高天原だし、天といいますが、『聖書』の解釈では、どこに神様がいらっしゃる事になっているのでしょうか?
聖書における神様の臨在場所
『聖書』の詩篇は、「ヤハウエの王座は、天にあった」と主張している(第11章4節)。主は聖なる宮にいます
主は天に御座(王座)を置かれる
御目は人の子らを見渡し
そのまぶたは人の子らを調べる
「詩篇」(第11章4節)
『聖書』は、ヤハウエの王座について、さらに言及している。その中で、実際に王座のある場所は、オラム(Olam)というところだと明記されている。
「御座はいにしえより固く据えられ あなたはとこしえの昔からいます」(詩篇第93章2節) 違う訳 「あなたの王座は、とこしえにあり、 あなたはオラムから来られた」(詩篇第93章2節) |
「主よ、あなたはとこしえ(オラム)にいまし 代々に御座にいます方。」(哀歌第5章19節) 違う訳 「わが主よ、あなたはオラムで王座に就かれ、 代々、絶えることがない」(哀歌第5章19節) |
「あなたの王座は、古よりあり、
あなたは、”永遠に”おられます」
と。
そして、哀歌の書の言葉は、
「わが主よ、あなたは、『とこしえに』統べ、
あなたの御位は、代々に絶えることがない」
と、訳されている。
『聖書』では、天とオラム(Olam)=永遠、とこしえはイコールだ。
1995(平成7)年12月5日国常立神様からの歌
ここで私が思い出すのは1995(平成7)年の出来事です。1995(平成7)年は私にとって未曾有の出来事があった年でした。
この年の12月5日に神様が私たちの元に現れて、
「国常立尊がそなたたちのもとに渡られていくので、くれぐれも粗相のないようにせよ」
というお達しがきて、しばらく自宅の御神前で平身低頭していたのです。
国常立尊が私たちの元を立ち去られる時に残していかれた歌が下の歌です。
はじまるぞ、
愛と希望の光この世を満たせ
はるか永遠の時いたるまで、
この世を満たせ。
すばらしきかな、この世の建て替え。
われら手を取り合って、
永遠の光に向かって進め。
時すぎて 人間たち
我らにすがろうとも、
われら振り返らず 進め。
ありがたい ありがたい
といって進めよ
◆ 聖書の論点を整理していて、聖書にオラム(Olam)=永遠、とこしえという言葉が出てきました。ここで1995年12月5日の国常立尊からの歌に重なります。
さらに、ここで幼いころの夢にも重なっていくのです。
幼いころに見ていたあのシャボン玉のような球体の一つ一つが、オラム(Olam)=永遠、とこしえであり、愛というエネルギーで満たされているものだったのではないか?シャボン玉のような球体に見えたオラム(Olam)=永遠、とこしえの内部に太陽のような恒星が生み出されていって、大宇宙の循環をつくっているのではないか?
オラム(Olam)=永遠、とこしえは内部で7層に分離されていて、各オラム(Olam)=永遠、とこしえの成長段階で、内部に「愛」というエネルギーを充満させてきたのではないか?
愛は全てを育てます。
だから、オラム(Olam)=永遠、とこしえというシャボン玉のなかに憎しみがあれば憎しみを育て、嫉妬があれば嫉妬を育ててきた。愛のエネルギーを上回って嫉妬・憎しみが増大したとき、嫉妬と憎しみの闘争となり、第一の愛の世界は破滅によって閉じました。第一の愛の世界が破滅しても、嫉妬と憎しみは消滅しなかった。
嫉妬と憎しみの根源がどこに潜んでいる状態か分からないままだった。
オラム(Olam)=永遠、とこしえから第二層が分離され、第二の「愛」のエネルギーが充填されました。
破滅した世界は再建されたが再び、どこからともなく、嫉妬と憎しみの感情が生じ、前回と同じように愛のエネルギーを上回って嫉妬・憎しみが増大したとき、嫉妬と憎しみの闘争となり、第ニの愛の世界も破滅によって閉じました。
この嫉妬と憎しみの根源はどこに潜んでいるのだろう?
このことを突き止めるために宇宙は、同じような工程を何回か繰り返してきたのでしょう。愛は全てを育てるという愛の本質を利用して、ビックバーンの原因となった嫉妬と憎しみと屁理屈(ヘビ)の発生と「屁理屈(ヘビ)使い」の存在を突き止めようとしてきたのです。
アダムとイブの時に、ヘビが真理の断片(屁理屈)を言ってイブを誘惑しました。
このヘビの背後にいる「屁理屈(ヘビ)使い」は誰か?
文字として屁理屈(ヘビ)のことが記録に残されたことによって、屁理屈(ヘビ)を追っていけば嫉妬・憎しみ・悪意の実体に迫ることが可能になった。
一部の論者は、屁理屈(ヘビ)を使ってイヴを誘惑したのはルシファーだという。
ルシファーは屁理屈(ヘビ)を使わなければならないような小賢しい天使ではない。
下界に落とされたルシファーの陰に隠れてコッソリと屁理屈(ヘビ)をコネ回し、善に見せかけて悪事を働いている「屁理屈(ヘビ)使い」がいる。
ここまで人間の言葉で表現できるようになった。
神がやり遂げようとしていることがどの程度できているのか、私には分らない。
ただ、人の言葉で上のように語れるところまでにはなっている。
天=オラム〔永遠〕の位置と高天原の場所
それでは、天とオラム(Olam)=永遠、とこしえの場所はどこなのか?という問題です。今から2000年も前に、ユダヤの学者でラビのガムリエルが
「昔からの言い伝えでも、天と地の間を旅行するのに、3500年もかかる」
と言っているらしい。
計算は省略しますが、地球から2光年離れたところに天あるいはオラム(Olam)=永遠、とこしえがあることになる。この距離は直感的に理解できる。
1995年当時、天に何かお願いしても反応が少なくて、4-5年経てリアクションが起きてくるような感覚が強かった。1995年当時から天の位置は、行って帰ってきて4-5年掛かると思っていたし、人にもそのように説明していた。
自分が何かを天にお願いしたとして、帰ってくるのは4-5年後。
その4-5年後に天が希望を叶える手筈をとってあげたにも関わらず、依頼主がその場にいない場合は、同じような依頼主にかなえられた現実がやってくる。
依頼した事柄をすぐに反応として受け取った人は幸運だ。
これが降って湧いたような幸運の内実だと思う。
天に何かお願いする時、4-5年同じ気持ちを持ち続けられる願いを持つことが大事になってくる。
あなたがやり遂げようたしたことをあきらめた場合、すごそこまでやって来ている幸運はあなたが受け取れなくなってしまう。
天あるいはオラム(Olam)=永遠、とこしえが2光年離れた位置にあるから起こる時差になっている。
御神意にそって願をかけてやり始めた場合、5年やれれば必ず結果がついてきますよ。
天についての捉え方は日本神話と『聖書』で大差がない。
天を3500年かかると伝えている点では、日本神話より詳しいとも思える。
この記録があるおかげで、天や愛の源泉や神霊界がどのあたりに存在するのかが推測できるようになった。
◆ それでは高天原はどこにあるのだろう?
実をいうと、この記述を書いているのは2017年7月8日(土)だが、前日の7月7日(金)に天照大御神様が、空中に浮いている沢山の岩がある場所に立たれている映像を送り届けてくれていた。こういう映像が神様から送り届けられるときというのは、場所の特定ができることが多い。
2017年7月7日(金)この場所がどこなのか追及する中で、火星と木星の間にある小惑星帯である可能性に行きついた。
この小惑星帯から天とオラム(Olam)=永遠、とこしえについて思考をめぐらせたのだ。
その結果、子供のころのシャボン玉のような球形の夢を思い出し、上の画像の宇宙空間が見えてきたのだった。
日本神話のいう高天原とは、小惑星帯から太陽までの宇宙空間で、小惑星帯が高天原の屋根に相当する箇所だ。
水・金・地・火・<小惑星帯>・木、
という並びのうち、水・金・地・火が「おのころ四音」に対応している。
太陽系外縁帯から天あるいはオラム(Olam)=永遠、とこしえまでの領域を天之常立神が司られている。
シャボン玉の領域全体を大国常立大神が司っている。
神霊界上では天之御中主神様だが、現実的な動きは大国常立大神様の働きとなって現れる。
聖書の口伝と日本の神話を総合すると、ヤハウエは大国常立大神である。
大国常立大神が地上界に立ち現れてお働きになられた姿を国常立尊と呼ぶ。
メルマガの発行目的
このメルマガは、50年以上ヘブライ語の原典を、もくもくと研究されてこられた先生の助言を得て知った内容を皆様にお伝えしていくことを目的にしています。先生が言われるには、
「『聖書』の奥義は日本人でないと分らないようになっている」
ということでした。
50年以上先生が研究してこられた『聖書』のエッセンスを伝えられる人を探していたのだが、あなた、やってくれないか?
という提案でした。
今回の2017年5月14日の淡路菰江古代ユダヤ遺跡の式典・祭典がいい御縁だと思うので、先生からマンツーマンの特訓を受け、その内容を整理し、このメルマガで配信していきたいと思います。
マンツーマンの特訓は7月からということになっており、ヘブライ語・アラム語、英語を使ったものになる予定です。
ヘブライ語には接する機会がほとんどありませんでしたので、ヘブライ語の読み書き教材や、ヘブライ語『聖書』を求めて準備中です。
私自身、『聖書』を補助教材において、『古事記』『日本書紀』『ほつまつたえ』『上紀』『竹内文献』などを読み込んで日本各地を周ってきました。
なので、私には『聖書』に対する違和感は全くありません。
今度は、ヘブライ語の『聖書』をベースにして、日本の文献を語れる喜びのほうが大きい気がします。
おそらくマンツーマンの2泊3日の特訓勉強会は7月から何か月かに渡って続くと思います。
整理したものをこのメルマガで報告していきます。
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