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2017年7月14日号 日本の神話状況から見る<アダムとイヴ>
日本神話から「アダムとイヴ」をどのように読んだらいいのか?
アダムとイヴが造られたのは、『聖書』の時代記述だと約6,000年前の出来事になる。
人類学の知識だと、ネアンデルタール人が登場するのは25万年前、それから10万年前くらい経て、クロマニョン人のような新人類に変遷していった。
現在ある歴史試料のミトコンドリア・イブの研究から、アフリカに生存していた現生人類の最も近い共通女系祖先は、約12万年前から20万年前にアフリカに生存していたと推定される。
日本発のミトコンドリア・イザナミなる歴史試料が発見されれば、人類史の歴史は激変するはずなのだが、ミトコンドリア・イザナミなるサンプルは発見されそうにない。
これは日本人にしか理解できないことなのだが、人体をもって現れた日本の神々は、使命を終えると、御自分の肉体を「音とともに日の光と水に戻す」か「お土に戻す」かして神上がられたので、神々の力が正常に機能している時代のサンプルは残らないことになっている。
立つ鳥跡を濁さず、である。
ミトコンドリア・イザナミなる歴史試料は発見されないだろう。日本では、神の歴史は「神話」として語り伝えられることになっている。
日本は神の国なので、神話は過去の物語ではなく、現在も刻一刻と生成されている。
西暦712年に編纂された『古事記』神代の段は1300年前の段階の神代の物語を伝えるわけだが、神々の物語は、この1300年の間に大きく変化し変貌している。特に2016年と2017年の急変は特筆ものだった。
2016年6月11日、伊邪那岐命と伊邪那美命によって千引の岩戸が開かれた。2016年6月12日、素戔鳴神の岩戸が開かれた。
2016年6月23日には、天照大神の天之岩戸が素戔鳴神の真心によって開かれている。
2016年8月6日に、迦具土命が復活された。
2016年8月17日、黄泉国開きが行われている。
2016年10月1日、「オノコロ四音(よんおん・シオン)」が開かれている。
2017年5月14日、伊邪那美命の火傷を負ったミホトのキズが癒えた。
2017年6月1日、伊邪那美命が復活されている。
西暦712年に編纂された『古事記』神代の段では、考えられないような神話の進捗状況になっている。あと10年も経て時代が落ち着いたら、次の時代を担う『古事記』が神様から降ろされるのだろう。
ミトコンドリア・イブに話を戻そう。
ミトコンドリア・イブの試料は、イヴの誕生は最大で20万年前の出来事であることを物語っている。『聖書』を読みこなそうとすると、アダムとイブが誕生したのは6,000年前だという記述でまずつまづく。
このツマヅきを回避するために、「創世記」の「第一の日」や「第ニの日」というのはかなり長い期間を言っているので、我々が日常的に使っている一日や二日というのとは全く違う、と説明が用意されている。だから、「創世記」を勉強しようとすると、
ネアンデルタール人が登場するのは25万年前で・・・と人類史を振り返りたくなってしまうのだ。
日本人にとって『日本書紀』に神武天皇の言葉として
「自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歳。」(天孫降臨より、今まで179万2470余年になる。)
という言葉が残されているのも『聖書』を学ぼうとするものにとって鬼門だ。
1974年にエチオピアで発見された化石人骨のルーシーは318万年前と推定されているので、瓊々杵尊が179万年前に天孫降臨されていても不都合のない年代になっている。そうであるならば、まず最初に学ぶのは『日本書紀』であるし、『古事記』だろう、となるのは日本人にとって極めて自然な流れなのだ。
『聖書』が語る歴史の射程はあまりにも若すぎる。
『聖書』を参考にシュメールも紐解いたにしても『日本書紀』のように179万年前まで考察対象になるわけでもない。
よって日本人にとって『聖書』とは、『古事記』と『日本書紀』を学ぶ上での補助教材である。
「創世記」第一行目から第三行目の解読なら、情熱をもって打ち込めるのだが、アダムとイブの話になると、途端に情熱が入らなくなる。私にとっての問題は、神々の問題であって、人間の問題ではないからだ。
天の神々のあり方に問題があって、その遷し(写し)としての地の側の神々や人間に鏡のように映されてしまっているのではないか・・・という問題意識をもっていた。
地の国は天の国の写し(遷し)になっているので、天の国の神々の在り方が地の国の神々や人間の問題として現れている。
地の国の神々の問題に関与できるのは、天の国の神々だけである。
これは今でも過去でも、未来でも絶対的な神律だと思う。
2016年から2017年にかけての日本の神々の岩戸開きが整い、ようやく地の神々の問題に関われるようになった。天の神々の配置が整えば、地の神々のサポートをするのは、天の神々の務めでもある。
私が、日本以外のイスラエルやイギリスやイタリアに住んでいたら、こういう発想は出来ないだろう。西欧の『聖書』の論者の多くは、アダムとイブの問題を「人間の原罪」と説く。
いやアダムとイブの問題は「人間の原罪」であるという風に説かざるを得ないのだ。
西欧では『聖書』の神が絶対で全知全能であるゆえに、
『聖書』の神に反論するような主張は「悪魔」だという論調をたぶんに含んでしまうため、アダムとイブの問題は「人間の原罪」であるという風に説いたほうが身の安全のために都合がいいのだ。
こうして、『聖書』の岩戸は一つづつ閉じていき、終いには光を発しなくなってしまう。
「創世記」アダムとイヴは6,000年前(紀元前4000年前頃)の出来事である
私は神様に次のように質問した。「創世記」アダムとイヴの誕生は6,000年前という風に読めるのだが、そのように読みこんでいいものでしょうか?
そして、神様の御教示を受けた。
人類史の流れで読む場合は、「第一の日」とか「第二の日」とか記述される部分をかなり長い期間ととって読み込む通説の考え方で妥当だ。その他に、アダムとイヴが誕生してから6,000年という風にも読み込むこともできる、ということであった。
不思議な回答だが、どういうことなんだろう?
アダムとイヴが誕生してから6,000年という風にも読めるとは、どういう方向なんだろう。アダムとイヴが誕生してから6,000年と読むなら、ノアの方舟はアダムとイヴが生まれてから1656年後に起こったことになるから、紀元前2370年ごろノアの方舟の洪水が起こったことになる。
アブラハムが生まれるのは紀元前2,123年なので、中東一帯が全てが洪水で流されて果たして200年で、洪水以前と同じ水準の都市文明を築くことができるのだろうか?
現実的には不可能ではないか?
また、アダムとイブが誕生したのは、紀元前4000年前のことだったということになれば、日本の青森県の三内丸山遺跡は紀元前3500年前ぐらいの遺跡なのだから、アダムとイブの話の整合性がますます疑わしくなってしまう。青森県の三内丸山遺跡よりもわずか500年前にアダムとイヴが誕生したのだろうか?
それでも、神様はアダムとイヴが誕生してから6,000年という風にも読み込めるという。
そういう読み込み方ができるとしたら、それはどういう方法なんだろう。私は再び日本神話の中で神々の動きを追った。
(※)神様を交えての勉強会。 1995年6月にある老人の霊人が私の元に現れて、2週間に渡る教育を受けたのですが、私の元を立ち去るとき 「あと分らないことは神に尋ねよ」 「そなたが尋ねればどの神でも答えてくれるぞ」 という言葉を残してくれていました。 1995年6月以降、勉強は神様に質問しながら学んでいく、現在のスタイルになっています。 |
千引の岩戸が閉められる前に生まれた「かくつちの命」の位置の特殊性
日本神話が激変するのは、「かくつちの命」が誕生してからであった。「かくつちの命」が生まれ、伊邪那美命のミホト(女陰)が火傷し、その火傷キズが致命傷になって伊邪那美命は命を落とす。
伊邪那岐命は伊邪那美命の後を追って、よみ国(黄泉国)へ行く。
伊邪那美命の体にウジがたかっているのをみて、伊邪那岐命は恐ろしくなってよみ国(黄泉国)から脱出する。
黄泉平坂の坂本で、伊邪那岐命と伊邪那美命は千引の岩戸を閉めて交流を断つことになった。
伊邪那岐命はよみ国(黄泉国)から立ち戻って、お一人で国造りや神生みをされることになった。
最後に天照大神、月読大神、須佐之男大神の三貴神を生みあげて、後の世の統治を託した。
日本神話が統治不能になっていくような激変は「かくつちの命」が誕生してからであった。
かくつち神とはどういう神なのか、これは私の大きなテーマであった。
日本の神代の昔に、以心伝心で伝える伝達方法の他に、文字で伝える方法が取り入れられるようになる時期があった。伊邪那岐命と伊邪那美命の千引の岩戸が閉められる前の出来事だった。
文字を書く働きの神の名を、「かく(書く)つち神」と言った。
神界で文字で書くということは、神界の律法の中心になっていくということだ。
「かくつち神」が物質界に現れるときには「かぐつち神」と呼び、「核」に関わる神様になった。この場合、「かぐつち神」と「く」に「濁点」を入れた神名で表したのだろう。
「かくつち神」も「かぐつち神」も誕生は全く同じである。
御神意の中心になりうる文字の側面からみれば「かくつち神」であるし、物質界の核エネルギーから見れば「かぐつち神」である。
伊邪那岐命と伊邪那美命の神生みの最終段階で「かくつち神」が生まれた。
書かれたものは「読まれる」ので、「かくつち神」の誕生と同時に「よみこく(読み国)」も誕生している。伊邪那岐命と伊邪那美命の千引の岩戸閉めは今から500万年前と推定できるので、「かくつち神」の誕生と「よみこく(読み国)」の誕生はそれよりはるか以前である。
日本神話は、伊邪那美命が亡くなる原因となった「かくつち神」を伊邪那岐命は切り殺したと伝える。
つまり、文字によって御神意を伝える神代の風習を一掃したのだ。
物質的には核反応によるエネルギー利用を中止したことになる。太陽のような恒星の発展は水素の燃焼から始まって最終段階で鉄が生成される。
鉄が生成されると重力崩壊をおこし、恒星が急速に収縮し次の段階の原子エネルギーの核反応へとつながっていく。
現在の太陽の成長段階で、原子エネルギーの核反応を継続すると、太陽系が崩壊するような事態になっていったのかもしれない。
それで、「かぐつち神」の活動を止める必要が生じたのかもしれない。
「かくつち神」が活動している時代は、人体をもった神々はまだ登場していないので、神々は山や川や海やマグマや天体に足場を組んで御活動されたのだろう。神界には、「かくつち神」が書かれた文字がたくさん残されている。
また現実界には「核エネルギー」もふんだんに残されている。
今から300万年前、天照大神と須佐之男命の天之誓約の時、お二方の神々の協議によって、人体をもった神々を創る必要性が確認され、琵琶湖を中心に天津神系の人体を持った神々、国津神系の人体を持った神々が降臨された。この時代に、太陽神界から降臨されている神がいるし、天王星から降臨されている神がいる。さらに金星や木星からもそれぞれの神々が降臨されている。同じ流れで、太陽系外縁部の惑星からも神々の降臨があったようだ。
天という宇宙があって、地という宇宙がある。
地という宇宙の中心は地球と定められており、この地球のあり方が大宇宙の命運を左右してしまうダイナミックな神々の活動があった時代だ。300万年前、天照大神と須佐之男命の天之誓約の時に様々な協議がなされた。
天ノ誓約での協議を踏まえて、天照大神が須佐之男命に高天原の改革を要請した。須佐之男命はその要請を受諾したのだが、改革が成功する保証がない。
伊邪那岐命と伊邪那美命の千引の岩戸が閉められており、結霊(むすび)の働きをされる伊邪那美命の御神力を期待できないのだ。
高天原の改革を断固やり遂げるために、天津神系や国津神系の人体をもった神々の他に、お土と木からの人体の創造も願った。
諸問題の根源を多角的に分析する必要があったのだ。
これが、アダムとイブの誕生へとつながっていく日本神界での物語のいきさつである。
アダムとイブはアフリカで生まれたとされるが、その端緒は日本の白山において人間が生み出されたことによる。
人間を教化し導くものとして猿田彦大神が特別に誕生した。
猿田彦大神の使命は、人間を伊勢大神へ導くことだ。
猿田彦大神の誕生は180万年前と推定されるので、日本での人間の誕生も同じくらいなのだろう。
かくして、人体をもつ神々の系統は2系統誕生することになった。
2系統の人体が誕生するころ、天照大神は天之岩戸に籠られた。須佐之男命が天之機屋に天之渕駒を落下させて天意を問うた結果、
「258万年の間(歳差運動の100年間)、天照大神が岩戸に入られることが示された」
「258万年後の状況を見極めて、須佐之男命が天照大神の岩戸の前に立ち、岩戸を開かれる」
という約束が交わされた。
この258万年の間(歳差運動の100年間)、天と地の心ある神々は苦労の連続であったろう。
神々の水と火によって誕生した神系の人体(天津神系と国津神系がある)、これを日本では「〇○の命(みこと)」と呼び、さらに君(きみ)系と臣(おみ)系に分かれる。大地の土と木に神の息をいれて創造された人間、これを日本では「たみ(民)」と呼ぶ。
日本では神系の人体の「〇○の命(みこと)」と「たみ(民)」との婚姻は禁止されていたのだが、その禁は白山で破られて、「〇○の命(みこと)」と「たみ(民)」の混血という問題が生じることになった。
これが日本神界に邪気や邪心や嫉妬を惹き起こす端緒になった。
これは白山のある神が「たみ(民)」である美人の女性を見初めて結婚してしまったことから、神系の規範が緩み、さらに「たみ(民)」の側に嫉妬や野心を引き起こすことになってしまったのだ。
『聖書』に記述されるエロヒムと人間の娘との結婚という問題は、実は日本でも150万年前に問題になっていたのだ。
258万年の間(歳差運動の100年間)、天でも地でもひたすらに耐えなければならない隠忍時代だった。
258万年の間(歳差運動の100年間)、天の側に不都合な現実が頻繁に現れてくるのだが、この期間は天の神々ですら対処できない「特別な期間」とされた。天の側の不都合な律法が、地の側に頻繁に降ろされて行った。
地の側では天の律法に絶対服従が神律であるので、グッと堪えて厳格に対処せざるを得なかった。
地の側でも、258万年の時を無事に過ごし、神界の再興する方策が模索された。
258万年の間(歳差運動の100年間)、天照大神に連なる天の神々も、須佐之男命に連なる地の神々も「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍」ばなければならない期間であった。「次の時代へ向けての動いてヨシ」と示されたのが、ノアの洪水をもたらした天の表われだったろう。
太陽フレアーの暴発あり、隕石の接近や墜落あり、活発な火山活動があり、天文学的な複合的な要因が重なってノアの洪水が起こった。この時の天の配置や天体事象の顕れが、天の側の合図になった。
須佐之男命が中心となって、ノアの洪水に至る経緯、並びに復興状況を258万年の歴史に照らして検証されたのだろう。500万年以上前に誕生した読み国(黄泉国)の状況も踏まえて検討された。
検証に7000年かけ、そして、6000年前に方針が決定された。
それは、千引の岩戸閉めの原因となった「かくつち神」の力を利用するという決定だった。
「かくつち神」は伊邪那岐命に切り刻まれたといっても、神霊界には「かくつち神」が残された文字の断片がまだたくさん残っている。さらに、現実界には「かぐつち神」が関与する核エネルギーもふんだんに残っている。
この文字の力と核の力を用いることになった。
伊邪那岐命と伊邪那美命の統治が崩壊する直接的な原因となった「文字」の力を用いるのだ。500万年以上前に、「かくつち神」が文字で伝えたかった内容を、音の響きと意味合いから探れる民族の創出することになった。
これが日本民族である。
日本民族にとって大事なのは、文字のもつ響きや意味合いだ。この本来的な文字のもつ響きや意味合いを担保するため、日本では何種類もの神代文字が考案されている。
音の発声が保たれるように、50音表やいろは歌やひふみ祝詞やあわ歌が大事にされてきた。
こうして、文字の響きの大切さが説かれてきたのだ。
文字の響きや共鳴を大事にするので、協調の風習が必然的に生まれる。
さらに、「かくつち神」が伝えた文字を厳密に再現し、厳格に伝える民族を創出されることになった。須佐之男命のこの要望を聞いてくれる人物がなかなか現れてくれなくて、須佐之男命もご苦労されたようだ。ついに、アブラハムが、神霊界に伝えられている「かくつち神」の文字を厳密に再現し、厳格に伝える人物として立ち現れてくれた。
これが22文字のアルフベートからなるヘブライ語である。
ヘブライ語は言語でありながら、遺伝子のようなものだ。
遺伝子を簡単に変更したら、人間がおかしくなってしまう。
この理屈で、『旧約聖書』として記述されたことを、一言一句たりとも変更を加えることを許されない、・・・はずである。日本の『古事記』は文字ではなく、音と意味が分かるような工夫が施されていて、音と意味合いを厳格に伝える。
時代時代にあった音と意味が伝わる工夫がそれぞれの時代でなされればよくて、文字に対しては寛容だが、発声については厳しい。
発声と意味合いについては、「そのまま伝えよ」と厳命されている。
日本語とヘブライ語を合わせるとまるで鐘のようだ。
響きの外鐘が日本民族にあり、外鐘を鳴らす打ちリンがユダヤ民族にある。打ちリンと外側の鐘の部分が別々に鍛えられているかのように見える。
神々の活動を「文字」の中に落とし込み、文字や名がないと神の力を発揮できないようにされたのだ。
文字や名を与えられて、初めて神としての働きができるようになった。
裏を返せば、神代の文字で書かれた記述を丹念に読み解けば、問題点が何か、追求する人は誰でもわかるようになったということでもある。
次の時代を建設する今の神代の特徴が、6,000年前に須佐之男命によって決められたのである。
『古事記』の神々に名の連なる人々は幸いだ。
『聖書』に名を記される人々は幸いだ。神からの救いは約束されている、・・・はずであるのだが・・・。
「創世記」アダムとイヴは6,000年前
日本神話の「かくつち神」に焦点を合わせて考えてきた。アダムとイヴが誕生してから6,000年という風にも読み込めるのは、
アダムとイブの子孫に文字が与えられて、これまでの記録が残すことを許されるようになってからの時間進行だ、ということが判った。
アダムとイヴの子孫に紀元前4,000年前に文字(ヘブライ語の元言語)が与えられ、これまでの歴史を文字に残すことを許される時期があったのだろう。
ちょうど6日間かけて、文字で歴史が伝えられたのだろう。
これが「創世記」第一の日から第六の日の内容である。
そして、第七の日は休みにしたのだ。
現代の学校教育のような事が紀元前4,000年前に始まったのだ。
ユダヤ人にとって、文字(文章)で記録される歴史が紀元前4,000年前から始まり、ノアの洪水の出来事は、文字での記録が始まって紀元前2370年前ごろに記録されたのだろう。
だから、ヘブライ語で天地創成が記録されたのは、紀元前4,000年前のことであり、アダムとイブが誕生したのも、同じ紀元前4,000年前のことになった。
須佐之男命が練りに練って、アダムとイヴの子孫に文字で記録に残させていったのだ。
記録という文字のなかで生命を吹き込んだのだ。
こうしてアブラハムの記述の時に、伝承されてきた記録と現実の記録が重なった。
アダムとイヴの記録が残された。ヘビの記録も残された。
カインとアベルの記録も残された。
ノアの洪水の記録も残された。
バベルの塔の物語の記録も残された。
ソドムとゴモラの記録も残された。
アブラハムとロトの記録も残された。
ハガルとサラの記録も残された。
いけにえに捧げられるイサクの記録も残された。
エサウとヤコブの記録も残された。
レアとラケルの父であるラバンとヤコブの記録も残された。
ヤコブの子・ヨゼフが奴隷として売られる記録も残された。
日本神話の「かくつち神」の残された文字に染み込んだ「神代の念・思い」の洗い出しにかかったのだ。美味しそうだという体慾に溺れ神との約束を破り、嫉妬に溺れ、世も末という状況を体験してもなお嫉妬に囚われ、信仰心を試される、ウソで長子の特権を奪い、ウソで祝福も奪う、それで苦難に見舞われ、さらに神に対する信仰心を試され、大きな困難に落とされていく。
これらの出来事は日本の神話でも258万年の間、起こった出来事であった。
日本の神話界にあった出来事を、地の世界に写す作業をユダヤ民族は引き受けてくれたのだ。とうとう天の時は来たのだ。
日本神話から『旧約聖書』を説けば、『旧約聖書』の岩戸は開かれる。「かくつち神」の「文字」の力と「核エネルギー」の力の総和のエネルギーは定められている。
「かくつち神」の「文字」の力を神々や人類の祝福のため用いれば、「かぐつち神」の「核エネルギー」の力は少なくて済むかもしれない。
東京オリンピックで世界各国から人々がやってくる2020年までの間に、どれだけ世界に発信できる準備が整っているかによって判定されるのかもしれない。
『旧約聖書』を開く岩戸の鍵は、私と先生の間に横たわっている。
私はヘブライ語を知らないので、残念ながら私だけでは取り出せない。40年以上ヘブライ語で『聖書』を研究されてきた先生だけでもこの鍵は取りさせない。
先生だけでは、日本神話の奥義と日本の各土地の因縁話を活用できないからである。
2017年5月14日の淡路菰江古代ユダヤ遺跡発掘65周年の式典・祭典を開催しなければ、今の道が開かれなかった。メルマガの発行目的
このメルマガは、40年以上ヘブライ語の原典を、もくもくと研究されてこられた先生の助言を得て知った内容を皆様にお伝えしていくことを目的にしています。先生が言われるには、
「『聖書』の奥義は日本人でないと分らないようになっている」
ということでした。
40年以上先生が研究してこられた『聖書』のエッセンスを伝えられる人を探していたのだが、あなた、やってくれないか?
という提案でした。
今回の2017年5月14日の淡路菰江古代ユダヤ遺跡の式典・祭典がいい御縁だと思うので、先生からマンツーマンの特訓を受け、その内容を整理し、このメルマガで配信していきたいと思います。
マンツーマンの特訓は7月からということになっており、ヘブライ語・アラム語、英語を使ったものになる予定です。
ヘブライ語には接する機会がほとんどありませんでしたので、ヘブライ語の読み書き教材や、ヘブライ語『聖書』を求めて準備中です。
私自身、『聖書』を補助教材において、『古事記』『日本書紀』『ほつまつたえ』『上紀』『竹内文献』などを読み込んで日本各地を周ってきました。
なので、私には『聖書』に対する違和感は全くありません。
今度は、ヘブライ語の『聖書』をベースにして、日本の文献を語れる喜びのほうが大きい気がします。
おそらくマンツーマンの2泊3日の特訓勉強会は7月から何か月かに渡って続くと思います。
整理したものをこのメルマガで報告していきます。
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